教えても教えても、同じミスをしてしまう。
教えた立場としては、自分がミスをするのとは違うがっかりというか、歯痒さというか、嫌な気持ちになりますよね。
教え方が良くなかったかなと反省したり、教えたのに!とムカついたり、担当している新人の仕事ぶりが自分の評価になりつつあるのが、教育係の負担のひとつだと思います。
まさに私も、4月から絶賛苦戦中です。
半年はつきっきりで、自分の仕事を完全に犠牲にして、手取り足取り面倒みました。その時からおや?と思うことは多々ありました。
彼の特徴について該当するものがいくつもあると思ったので関連書籍を読んだり、上司にも相談しました。
本人にもやんわり、コミュニケーションが難しいのではないか、困っていることはないかと尋ねたこともあります。
でも、うんともすんとも…無反応なんですよね。すでにコミュニケーションが取れない。
上司も、とにかく根気強くみてくれ、で終わり。
こうやって職場内カサンドラって起きるんだなあと思いつつ、毎日毎日対峙するわけなのです。
もう彼はここ数ヶ月、ミス製造機と化しています。
というのも、半年で新しいことを教えるのをやめたのです。ほぼ身につかなかったので、教わったものを確実にできるようになってから次のステップに移ろうと判断しました。
教えたものは月のルーティン事務なので、とりあえずは本人が進めるのを見守る形なのですが。
先月できたことが今月はできない
これ、私にとって一番ショックなことです。
要は本質が身についていない。先月できたのは偶然で、日にちや人や数字がかわると応用が効かない。
かといって、本質的なことを話すと、思考停止に陥っていることが伝わってきます。
抽象的な話についての理解が難しいようなのです。
そのため例え話も厳しい。目の前に事実として発生した仕事の解答しか伝えられないわけです。
これは、普段意識していないですが、かなりきつい。
そんな日々を送っています…
この教育、意味あるのかな。
私が今担当している彼には残念ながら効果がないのですが、工夫したことを挙げます。
教え方をかえて3回までは付き合う
教えたにも関わらずミスをしてしまった場合、2回目は1回目の説明に不足があった可能性があるので、理解度を確認しながら教えてみます。
簡単な仕事であればそれで解決すると思います。
それでもミスをしてしまった場合、本人に説明してもらいます。本質的な捉え方が違っていたり、教える側には思いつかないところでつまづいている可能性があります。
私の場合、「この件を教えるのはこれが最後」と伝えています。プレッシャーだとは思いますが言います。
そして必ず、ミスになる前に、この擦り合わせ作業を自分からできる人材になろう、と伝えます。
それが責任であり、主体性である、と
自己分析を促す
同じミスを繰り返す場合、私も毎日のようにガミガミと叱ったり、補足をしてしまいがちなのですが、本人に自己分析を促すのも手だと思います。
本人の認識を確認しましょう。
もしかしたら、こちらは3回教えたつもりが、本人からしたら関連性が分からず初耳かもしれません。
謝るだけではなく、自分の仕事を分析してもらいましょう。
怠けてる人は案外いないと思う
ミスを繰り返されると、「怠けている」「やる気がない」「仕事を舐めている」と思いがちです。
そういう人もいると思います。
ただ、謝ってくるうちは、怠けているわけじゃないと思うようにしています。
怒ると叱るは違うと言いますが、根性論を始めてしまうと怒りにまっしぐらになってしまうので、考えないようにしています。
ここ数年思うのが、主体性や積極性がみられない=やる気がないではないということ。
指示待ち人間ということですが、それでも指示されたことは全うしようとしている。
そういう人は、やる気はあるんです。
そのあたりを汲んであげると、いわゆる「今時の子」たちともやれるのかな、なんて思ったり。思わなかったり。
今日は茄子が安かったので、肉味噌炒めにしました。ホカホカのご飯に乗せて食べました。